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2008年6月21日 (土)

2月27日「頼朝、兼実を摂政に推す」

「吾妻鏡」2月27日 乙亥
「頼朝、兼実を摂政に推す」
 雑色(身分の低い雑用担当)の長の安達新三郎清経は、頼朝様の伝令として京都へ上りました。頼朝様が申請したのは、摂政への後白河法皇の命令を右大臣九条兼実に下してくれる事も、その言葉に入っているようです。この右大臣は、法性寺殿藤原忠通様の三男です。日本や中国の知識も才能もとても人々を越えたものを持っておられるようです。現在の摂政は、元々平家と親しい人なので、関東の頼朝様を良く思っていないので、去年源九郎義經が反抗心を起こした時に、頼朝様追討の宣旨を出させたのは、全て彼の発案によるものだと噂に聞いています。そこで、推挙を上申すると内々に右大臣に表現してみました。しかし、まだ時期が早いので旨くいかないだろうと遠慮をなされたけれども、あえてこれを申し上げるようです。
「頼朝、時政の帰参を命ず」
 又、北條時政殿は早く鎌倉へ戻るように伝えさせました。関東の運営について相談したいことが多々あるからです。京都の警備は、すでに左典厩(馬の役所の長官)一条能保に任せてあるからです。

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