1月5日「平時実配所に赴かず」
「吾妻鏡」1月5日 甲申
「平時実配所に赴かず」
前中将時実は、流罪に決されたのに、流罪先へ行っておりません。しかも義経と行動を供にしていたので、十分に犯罪者としての罪があります。それなので生け捕りにして、関東へ送られました。今は美濃藤次安平の西御門の家に預けられております。事情を質問されても、きちんとした弁解をしないのは、どうにも仕方が無いと納得して従うつもりなのでしょうか。しかし、公卿の罪を身分違いの関東の武士が勝手に決めるわけにも行かないので、今日京都へ送り返すようにお決めになられました。
「頼朝、院使下向を許す」
又、師中納言吉田經房が後白河法皇の使いとして、関東へ来ると耳に入りましたが、特に込入った事が無ければ来るには及びません。後は、去年の冬に正式文書で申請した数々の内容を、後白河法皇に決断していただくだけですと、念を押す知らせを行かせました。
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