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2008年6月20日 (金)

2月24日「行家義経尋ね捜すべし」

[玉葉]2月24日 壬申 晴 
「関東より奏請能保衛府督に任ぜらるべし」
 午後4時頃、頭の左中弁光長が来て色々の事を申した。その中で左馬の頭(馬の役所の長官)一条能保が皇宮警察の長官に任ぜらるべきの由、関東より師卿吉田経房に付き後白河法皇に申し上げた。而るに当時欠員は無し。何様に行わるべでしょうかの由法皇のご指示が有りました。
(略)ただ法皇の御定に有るべし。
「対馬守親光還任すべし」
 また対馬の守親光を復官すべきの由、同じく関東より申請したようだ。件の事は、治承三年私財の寄付に依って当国守に任じた。
「親光平家の乱を恐れ高麗国に渡る」
 即ち任命された国に赴任の間、平家の乱に逢う。仍って彼の平家の乱行を恐れ、高麗国に越え渡り、平氏滅亡の由を聞き、帰朝在国の間、史大夫清業が巡年に依って当国に任命されていた。而るに親光は関東に挙向しこの詳細を触れました。仍って頼朝卿は平氏に従わざるの意趣に感心し、この旨を申請したようだ。私は発言した、これまた法皇の決定に在るべし。
「行家義経尋ね捜すべし」
 およそ近日の事毎時発言する事は出来ない。また云く、行家・義経等猶尋ね捜すべきの由同じく申請した。仍って下知すべきの由の法皇の命令が有りました。天皇の命令書(宣旨)を授けるべきか。公家の命令書(御教書)を以て下知すべきかと。私は云く、大事である。天皇の命令書を授けるべきかと言いました。

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