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2008年6月 9日 (月)

1186年 (文治2年)1月3日「頼朝直衣始の儀、鶴岡社に詣づ」

1186年 (文治2年 丙午)

「吾妻鏡」1月3日 壬午 夕べの雪が未だ溶け切らず地に残る。

「頼朝直衣始の儀、鶴岡社に詣づ」

 頼朝様は、去年従二位の官位をさずけられましたが、その後参内用の直衣(なほし、日常服兼礼服)を初めて着る儀式をしていません。源九郎義經の反逆により、未だ世間が静かに落ち着いていないけれども、天下は治まったのだと庶民が安心するように、今日その儀式を執り行いました。直ぐに鶴岡八幡宮へ参拝しました。左典厩(馬の役所の長官)一条能保や前の少将平時家様等も一緒に参りました。又、大内武藏守義信・宮内大輔源重頼・駿河守廣綱。散位(さんに、官位はあるが官職が無い)源頼兼・因幡守大江廣元・加賀守俊隆・筑後權守俊兼・安房判官代高重・藤判官代邦通・所雜色基繁・千葉介常胤・足立右馬允遠元・八田右衛門尉知家・散位東胤頼等がお供をしました。その一番後ろに武装した護衛兵が十人つきました。武田兵衛尉有義・板垣三郎兼信、工藤庄司景光・岡部權守泰綱、澁谷庄司重國・江戸太郎重長、市河別當行房・小諸太郎光兼、下河邊庄司行平・小山五郎宗政です。
「東胤頼、父と対座す」
 お参りの式が終わって、御所へ帰った後、ご馳走の宴がありました。今日のお参りの儀式に、拝殿前の庭にお供の侍達が左右に分かれて並び座りました。そこで千葉六郎大夫胤頼は、父の千葉介常胤に相対して座りました〔少し父より下座に寄っていました〕。見ている人は、ちょっと感心しませんでしたが、これは頼朝様の命令に寄るそうです。千葉介常胤は父親だけれでも六位である。胤頼は子ではあるけれでも五位である。官位は天皇が授けるものなので、なんでこれを尊ばない訳にはいかないだろうとおっしゃられました。この胤頼は、平家全盛時代に京都へ大番役で行っていたけども、平家の権勢にすがらないで、遠藤左近将監持遠の推薦で、上西門院〔統子〕へ仕えたので、その官職として従五位下を与えられました。又持遠の縁を受けて、神護寺の文覚上人(元遠藤盛遠)の仏教の生徒になりました。文覚上人が伊豆へ流罪になっている時に意見を一緒にして、頼朝様を説得することがありました。とうとう頼朝様が挙兵したときには、父の千葉介常胤に進めて、いの一番に駆けつけました。兄弟六人のうちで、一番手柄を立てた人なのです。

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