1月17日「頼朝、經宗の釈明を認む」
「吾妻鏡」1月17日 丙申
「頼朝、經宗の釈明を認む」
去年の暮れに、左大臣經宗様の使者が鎌倉へ来ていて、今日京都へ帰りました。頼朝様の返答が遅くなったからです。でも、来た甲斐が無いわけではないようです。これは頼朝様追討の太政官布告を義經たちに発行したのは、左大臣の提案によると噂を聞いていたので、とても怒っておられました。「しかし、宣下がなければ、行家と義經は京都で謀反の戦を始めたに違いない。太政官布告を受け取って九州へ行こうとしたから、法皇皇も公卿たちも安全だったのです。これがなんで不義だと扱われるのですか.」と云っていました。頼朝様は話を聞いて「仕方が無いと納得したので、承諾した。」とおっしゃられたようです。
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