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2008年5月 6日 (火)

11月7日「義経院宣賜はると聞き、頼朝不快とす」

「吾妻鏡」11月7日 丙戌
「義経院宣賜はると聞き、頼朝不快とす」
 頼朝様は、軍勢を招集し京都へ攻め上る途中で、京都の情勢を把握するために、木瀬川宿に泊まっておられましたが、先日の三日に行家と義經の両人が都を出て九州へ落ち延びていったと、連絡が入りました。但し、その二人は後白河院の庁の命令書を戴き、四国や九州に侍は二人の命令に従うように書かれており、行家は四国の総地頭に、義經は九州の総地頭に任命されたからです。今度の事は、後白河法皇が出した頼朝追討の宣旨も、行家・義經を総地頭に任命した院の庁の命令書も、行家・義經の要求のままに出した。どうして私の何度も立てた手柄を考えずに捨てて、追討の宣旨を出したのだと、頼朝様は大変ご立腹なされました。それでも、その頼朝追討の宣旨を出すかどうか会議で検討している時に、右大臣兼実は関東の味方をしたと噂で聞いているので、頼朝様は喜んでおられました。一方京都朝廷では、源九郎義經の官職の伊予守と検非違使の職を剥奪しました。

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