11月22日「義経、吉野山より多武峰に向ふ」
「吾妻鏡」11月22日 辛丑
「義経、吉野山より多武峰に向ふ」
伊予守義經は、吉野山の深雪を掻き分け、忍んで多武峰寺(現、談山神社)へ向かいました。それは、祭神の藤原鎌足の像に祈るためのようです。たどり着いた所は、南院内の藤室で、そこの坊主は、十字坊と名乗る強い僧兵でした。源九郎義經を歓迎したようです。
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「吾妻鏡」11月22日 辛丑
「義経、吉野山より多武峰に向ふ」
伊予守義經は、吉野山の深雪を掻き分け、忍んで多武峰寺(現、談山神社)へ向かいました。それは、祭神の藤原鎌足の像に祈るためのようです。たどり着いた所は、南院内の藤室で、そこの坊主は、十字坊と名乗る強い僧兵でした。源九郎義經を歓迎したようです。
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