11月25日「北条時政入洛す」
「吾妻鏡」11月25日 甲辰
「北条時政入洛す」
今日、北條時政殿が京都に入りました。行家と義經の反逆に天皇の命令を与えたことを、頼朝様がとても怒っていることを、師中納言吉田經房を通して事細かに、後白河法皇に申し上げました。
「行家・義經追捕の宣旨下る」
それなので今日、色々と会議を開かれ、今度は行家・義經を絶対に見つけ出すように、宣旨が下されました。その内容は
文治元年十一月二十五日 宣旨
前備前守行家と前伊予守義經は、自分勝手に野心を持って、とうとう九州へ行きました。しかし、摂津国で出航しようとしたら、ばちが当たって逆風によって、押し戻されてしまいました。本当に天罰が当たったのです。難破して漂流してしまったとの噂もあるけれども、死んだという確信はありません。早々に従二位源頼朝に命じて、直ちにその所在を捜索し、その身柄を捕らえるべし。
藏人頭右大弁兼皇后宮亮藤原光雅が命により書きました。
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