« 11月26日 「頼朝追討宣旨奉行の人々損わるべしという」 | トップページ | 12月1日「頼朝、平時実および平氏残党を捜索せしむ」 »

2008年5月28日 (水)

11月29日「多武峯僧義経を十津河に送る」

「吾妻鏡」11月29日 戊申
「守護地頭、兵粮米の事勅許あり」
 北條時政殿が申し入れた内容の、諸国に守護・地頭を置くことと反別五升の兵糧米の話は、申し入れのとおりに決めるように、後白河法皇が命令されたので、その事を師中納言吉田經房が後白河法皇のお言葉を北條四郎時政殿に伝えられたようです。
「多武峯僧義経を十津河に送る」
 一方、吉野山では多武峰の十字坊が、義經に話して云うには、この寺も余り広くない、僧侶達は沢山居ないので、何時までも隠れ通すのは無理だと思われる。ここから十津川へお送りさせてもらおうと思います。そこは、人馬の行き来しない山深い処なのです。と云えば、義經はこれを承諾して、喜んだので、強い僧兵を八人護衛につけて送りました。その僧兵八人は、道徳・行徳・拾悟・拾禪・樂達・樂圓・文妙・文實のようです。
「東海道駅路の法を定む」
 鎌倉では、頼朝様が、東海道の駅路の規則をお決めになられた。重大な用事を帯びて、京都への使いや下級役人が、伊豆・駿河から西の近江国までの区間は、位の高い人の領地も荘園もかまわずに、乗り換え馬を取上げて、それを乗馬に使うように、又、到着したところでその馬の餌や世話をするように規則を決めるようです。

|

« 11月26日 「頼朝追討宣旨奉行の人々損わるべしという」 | トップページ | 12月1日「頼朝、平時実および平氏残党を捜索せしむ」 »