12月6日 「行家や義經に同意の侍臣を罪科に処す」
「吾妻鏡」12月6日 乙卯
「行家や義經に同意の侍臣を罪科に処す」
今度のことで、行家や義經に味方をした朝廷の人達と北面の武士達の事が事細かに関東に知らされました。そこで、頼朝様は罰を与える為に名前を正式の文書に書いて師中納言吉田經房へ出させました。その上で、特に源九郎義經と悪巧みを構えた人六人の身柄を申し受けるように申し入れるよう、北條四郎時政殿に伝えられました。その六人は侍從良成、少内記信康〔伊豫守義經の書記〕、右馬權頭平業忠、兵庫頭藤原章綱、大夫鼓判官平知康、信盛、右衛門尉信實、時成達らです。
「議奏公卿の設置、兼実以下の替補等を院奏す」
又、右大臣兼実は、関東を支持していると聞いたので、仲良くするために一通の手紙を差し上げました。大江広元・三善善信・筑後權守俊兼・大和判官代邦道などがこれらの手紙を考えて用意しました。法皇へ申し上げる手紙に書いてあることは。
指図されるべき事
一つ 政治を論議して天皇へ伺いをたてる人たちについて
右大臣は九条兼實〔天皇へ出す文書を予め眼を通し取捨選択をする役の内覽にすると宣旨を出してください。〕 内大臣は徳大寺實定
權大納言三条實房卿 中御門宗家卿 堀川中山忠親卿(山槐記を書いた人)
權中納言藤原實家卿 土御門通親卿 吉田經房卿
參議藤原雅長卿 日野兼光卿
以上の公卿達は、朝廷の政務を執られるにあたり、まず神様への伺いから始めて、次に仏道の事を論じるなど、この人たちによって行ってください。
一つ 摂政のことは、
内覧の天皇の命令書を右大臣(兼実)にくだされるように。しかし、藤原氏の総領家の役は本来の人(基通)のままとする。
一つ 職事のことは、九条光長朝臣と壬生兼忠朝臣
二人一緒に任命しますように。光雅朝臣は、(頼朝)追討の宣旨を書いた。天下草創の時に不吉な人だから、早く止めさせるべきである。
一、院の御厩別当
朝方卿が[本]奉行の職である。復職させるべきか。
一、大蔵卿
宗頼朝臣、これに任ぜらるべし。
一、弁官の事
親経採用せらるべきか。
一、右馬の頭
侍従公佐これに任ぜらるべし。
一つ 左大史(太政官の記録係) 日向守広房が任務の日向の国におりますので、この人を任命すること。
(小槻)隆職は、(頼朝)追討する宣旨を書いたので、私の天下草創の時に忌み嫌うべき縁起の悪い人だから、止めさせるように。
一つ 国の支配について
伊予国は右大臣九条兼実に国司任命権を、
越前は内大臣に国司任命権を与えてください。
石見国は中御門宗家卿に、
越中国は壬生光隆に、
美作国は河原実家卿に、
因幡国は久我通親卿に、
近江国は藤原雅長卿に、
和泉国は光長朝臣に、
陸奥国は兼忠朝臣に。
豊後国は、頼朝がいただきたい。なぜならば、国司も、国人も、行家、義經の謀反に味方していたので、その一味を探して捕まえた上で、国の政務を行いたいと考えているからです。
一、闕官の事
器量を撰定し、これを採用せらるべし。
十二月六日 頼朝(在判)
解官の事について
一つ 解任する人について 参議(天皇の相談相手)親宗、大蔵大臣泰經(判官贔屓)、右大弁光雅(頼朝追討の院宣を提案した人)、刑部卿頼經、右馬の頭経仲、左馬權頭業忠、左大史(太政官の記録係)隆職、左衛門の尉知康、信盛、信実、時成、兵庫頭章綱。
この人達は、行家、義經の味方をして、天下に騒乱を招く悪い役人達です。早く解任して、朝廷から追放するように。それ以外にも行家、義經の家来や味方をした人々の、その親しさの度合いを調べて、官職を持っている役人は解任するように。僧侶や陰陽寮の占い師達も入っているとの、噂もあるので、同様に追放すべきである。 十二月六日 頼朝(花押有)
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