« 十月九日「土佐房昌俊、義経誅殺に遣はさる」 | トップページ | 十月十三日「義経・行家鎌倉に反くという」 »

2008年4月10日 (木)

十月十三日「義経参院、頼朝追討の官符を請ふ」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十月十三日壬戌。
「義経参院、頼朝追討の官符を請ふ」
 一昨日の十一日と今日と、源九郎義經は内緒で後白河法皇のもとへ行き、申し上げて云うには、「前備前守源行家は、関東に対して背を向け謀反を考えています。それはどうしてかと云うと、行家を殺すように鎌倉の二位卿頼朝様が命令を出しているからです。それが行家の耳に入り、何の過ちを咎めて罪もない叔父を殺そうとするんだと怒り心頭してのことです。源九郎義經は、頼朝様を盛んに止め様としていますが、少しも聞いてはくれません。しかも、義經は平家を滅ぼし、世の中を静かに落ち着かせました。これを大きな手柄だと思いませんか。それなのに頼朝様はその報酬をくれないばかりか、宛がわれていた二十四箇所の領地も全て取上げてしまいました。その上、私を殺すように用意していると耳に入りました。降りかかる火の粉を払うためにと、既に行家と同意しています。こうなったら、頼朝追討の太政官布告を出して下さい。京都朝廷のお許しがなければ、二人そろって宮中で自殺しますよと云ったようです。それに対して、よくよく行家の怒りをなだめなさいと、後白河法皇は回答なされました。

|

« 十月九日「土佐房昌俊、義経誅殺に遣はさる」 | トップページ | 十月十三日「義経・行家鎌倉に反くという」 »