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2008年4月 8日 (火)

十月六日「景季帰り義経の動静を語る」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十月六日乙夘。
「景季帰り義経の動静を語る」
 梶原源太左衛門尉景季が、京都から帰りました。頼朝様の御前で申し上げました。「伊予守義經の屋敷へ行き、頼朝様の使いできた旨を伝えましたが、病気だといって会ってはくれませんでした。それなので、秘密の命令を伝えられませんでした。仕方なく六条油小路の宿へ戻り、二日開けてからもう一度行きましたら、脇息に寄りかかりながら、会ってくれました。その様子は、本当にくたびれ果てていて、何箇所かにお灸の跡がありました。それでも念のために、行家を滅ぼすようにご命令が出ていると伝えますと、答えられるには、病気は嘘ではない。源九郎義經が思うには、例え強盗のような犯人であろうとも、直接取り調べたい思っている。ましてや行家なら尚更だ。彼は全くの他人ではない。同じ源氏の經基王の子孫として弓馬の道の武士であり、普通の人と同様には扱えない。部下達だけで行かせても、簡単に降伏させることは出来にくい。それなので、早く病気を治して、元気になったら計略を考えましょう。と頼朝に伝えて下さい、と云いました。」と報告をしました。それを聞いて、二品頼朝様は「行家に同意しているので、仮病を使っているのはすでに明らかだ」と言いました。これを聞いた梶原平三景時は「初日に行った時に会わないで、二日たった後で会っている。この様子を良く考えてみると、一日食事を絶って、一晩眠らなければ、その体は必ず疲れ切ってしまうだろう。お灸なんてのは、いくらでも一瞬で据える事が出来る。ましてや日数があれば尚更だ。だとすれば二日の間に巧妙な仕掛けをしたのだろう。行家と共犯していることは疑いない。」と言いました。

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