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2008年4月 9日 (水)

十月九日「土佐房昌俊、義経誅殺に遣はさる」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十月九日戊午
「土佐房昌俊、義経誅殺に遣はさる」
 伊予守義經を滅ぼしてしまう事を、日頃、会議を重ねてきました。そして今、土佐房昌俊を遣わす事になりました。この追討の事は、御家人達は殆ど多くの人が辞退の気配を見せていましたが、土佐房昌俊は自分からその役を買って出ましたので、頼朝様から特にお褒めの声を掛けられました。出発の準備が出来たところで、頼朝様の御前へ出立の挨拶に来たところで、「年老いた母と幼い子供が下野におります。是非、後の面倒を見てあげてください。」と申し上げました。頼朝様は特別に承諾をした旨で、下野国中泉荘(栃木県下都賀郡壬生町中泉)を戴きました。土佐房昌俊は八十三騎の軍勢を率いています。三上弥六家季〔昌俊の弟〕錦織三郎・門眞太郎・藍澤二郎以下のようです。京までの行程は九日に決めらたようです。

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