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2008年4月 7日 (月)

九月二日「梶原景季上洛、義経・行家の動静を窺ふ」

「吾妻鏡」文治元年(1185)九月二日壬午
「梶原景季上洛、義経・行家の動静を窺ふ」
 梶原源太左衛門尉景季と義勝房成尋が、頼朝様の使者として京都へ上りました。南御堂の供養の僧侶へのお布施や、お堂の飾り金具等(殆ど京都で買い集めております)を調達するためです。又、平家の共犯者の連中が、流罪を宣告されながら、配流先へ行かずに、京都にいるうちに恩赦でも出されたら仕方が無いけれど、そうではなく、ただ行かせていないだけならば、早く実施するべきだと、伝えるように申されました。それと、頼朝様の使いとして伊予守義經の屋敷へ行って、前備前守行家の居場所を探し見つけて殺してしまうように言いつけて、源九郎義經の挙動を探るように、梶原左衛門尉景季に云って聞かせました。前の五月二十日に前の大納言平時忠を初めとした平家関係者に流罪の太政官布告を出されました。それなのに未だに京都に住んでいるので、頼朝様は怒っていますが、源九郎義經は時忠の娘を妾に貰い、娘婿になっているので、その人情から京都に引き止めております。そればかりか、行家を味方に引き込んで、関東に対して反逆をたくらんでいるとの噂があるので、このようにしたと云う訳です。

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