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2008年4月 4日 (金)

七月十二日「群盗取り締まりを義経に命ず」

「吾妻鏡」元暦二年(1185)七月十二日癸巳
「鎮西の巡検を中原・近藤に命ず」
 九州については、武士の自由勝手な狼藉を止めさせ、また横領された荘園を元の通りに国司や領家に任せ、年貢をきちんと納入するように、という法皇の命令を早く下してもらい、それを持って行き巡察して廻るように典膳大夫中原久經と近藤七國平に命じたようです。
「九州没官領に地頭定補の上範頼を帰洛せしむ」
 又、平家を滅ぼした後は、きちんと云うことを聞いて、源廷尉〔義經〕は京都へ戻り、源參河守範頼は現地に残りました。それでも管理している九州の国では武士の横領が相次いでいると訴えがあるので、早く源參河守範頼を帰京するようにとの命令がありましたが、菊地九郎隆直・原田大夫種直を始めとした平家に味方している連中の横領の事、源參河守範頼に事実を確かめさせていると、頼朝様は京都朝廷へ改めてお申し出になりました。すると源參河守範頼は、神社仏閣の領地を妨害していないならば、上京しなくても何の問題もない。上京をしようとすれば後悔あるべしと処置すべきの、追加の後白河院の命令書を出したので、平家から取上げた領地、種直・種遠・遠達の所領である原田・板井・山鹿以下の領地へ、地頭を任命するまでの間は、管理人を置いて、落ち着いて京都へ戻るようにと、今日、頼朝様は源參河守範頼に言いつけられました。

[吉記]七月十二日
「群盗取り締まりを義経に命ず」
 盗賊集団の事、別して戒め命令すべきの由、大夫の尉義経に命じた。これはあちこちの屋敷の囲いが皆破壊したので、多くの人がうれえ嘆くためである。地震の事は法皇は特に御心痛である。尤も当然であるか。(七月九日に大地震)

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