6月23日「宗盛父子らの首を六条河原に梟す」
「吾妻鏡」元暦二年(1185)6月23日甲戌
「宗盛父子らの首を六条河原に梟す」
前内大臣宗盛と息子の右衛門督淸宗の首を、源廷尉〔義經〕の部下達が、六条河原へ持って行きました。検非違使の大夫尉知康・六位尉章貞・信盛・公朝・志明基・府生經廣・兼康等が、その場所に行き合わせ、これを受け取って、獄舎の門の前の木に掛けました。この事を頭右大弁光雅朝臣が現場に立ち会ったので、検非違使の別當の家通に命じ、別當は弁官の長光雅に命じ、弁官の長は大夫史隆職に伝えました。隆職は、それを検非違使の尉知康に伝えたようです。
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