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2008年3月26日 (水)

5月17日「後藤基清の僕従、伊勢能盛の下部と乱闘す」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)5月17日己亥
「一条能保鎌倉に到着す」
 朝六時頃に、先の七日に源廷尉義經と同じ日に京都を出発した左馬頭一条能保様が到着しました。直ぐに御所にお入りなされました。昨日暑すぎて、多少暑気あたりになったようなので、しばらく鎌倉に滞在すると申されました。
「後藤基清の僕従、伊勢能盛の下部と乱闘す」
 実は昨日、左典厩一条能保の部下の侍の後藤新兵衛尉基淸の従者が、廷尉義經の部下の侍の伊勢三郎能盛の下人と揉め事を起こしました。それは、能盛が食事の用意をしている最中に、基淸が馬でその旅館の前を走りすぎました。その後から、旅行道具を担いだ人足供が通りかけたところ、能盛の替え馬が、基淸の従者を踏んだので、口論になりました。そして基淸の従者は、頭へ来て刀を抜いて、その馬の「しりがい」手綱を切った上で走って逃げていきました。これを聞いた能盛は外へ走り出てきて、竹の根で作った鏃の着いてない蟇目矢で、残りの人足達を撃ちましたので、人足達は叫びながら大騒ぎです。後藤新兵衛尉基淸も又その話を聞いて馬を引き返して、伊勢三郎能盛と勝負を決めてやるといきり立ちましたが、左典厩一条能保がこれを宥め止めて、使いを源廷尉義經の元へ行かせました。廷尉義經も又これを止め静められたので、その後は無事に収まりました。この話を左典厩能保はわざわざ頼朝様に訴えるようなことはしませんでしたが、自然と頼朝様の耳に入ることとなりました。頼朝様は、源廷尉義經の侍の伊勢三郎能盛の下人の、義經の手柄に図に乗った態度をするのは、けしからんと大変ご立腹のようです。

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