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2008年3月17日 (月)

4月26日「平家捕虜の入洛を法皇見物す」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)4月26日己卯
「頼朝、實平・景時に武士乱行禁止を命ず」
 最近、戦乱が続いているから、武士の連中が武力をもって、諸荘園で略奪暴行をしている。よって、去年の春頃に命令に従って略奪暴行を止めるように天皇から綸旨が下された。それなので関東から土肥次郎實平と梶原平三景時を関西周辺の占領軍司令官として命じた所である。この二人はきちんとした真面目な人たちだが、彼等が任命して現地管理をさせている代官達が、司令官の名を語って勝手に略奪をしているので、人々からの訴えが出てきた。これ等を早く止めさせるように、命令書を作成しているところです。筑後權守俊兼が担当者のようです。

命じる 関西周辺の土肥次郎實平の代官が横領している所へ

 速やかに後白河院の命令書の通りに、實平の乱暴を止めさせる事

 これは、関西とその周辺の荘園や國衙領において、正当な権利の証しもないのに、ずうずうしくも横取りをしている。それぞれの代官が代理と称して平然と現地に住み込んで、領主の命令を聞かないで、國衙の命令も院の庁の命令も無視して、荘園の年貢を横取りし、國衙へ納めるべき国の物を流用している。そのような行動は全く持って不当である。今すぐに現地へ届いている院から命令書に従って、余計な文句議論をせずに、領内から引き上げた後で、正しい理屈証拠があるならば、鎌倉へ詳しく申し出るように命じることは、この手紙の通りである。このことを命令する。元暦2年4月二十六日

命じる 関西周辺の梶原平三景時の代官が横領している所へ

 速やかに後白河院の命令書の通りに、景時の乱暴を止めさせる事

 これは、関西とその周辺の荘園や國衙領において、正当な権利の証しもないのに、ずうずうしくも横取りをしている。それぞれの代官が代理と称して平然と現地に住み込んで、領主の命令を聞かないで、國衙の命令も院の庁の命令も無視して、荘園の年貢を横取りし、國衙へ納めるべき国の物を流用している。そのような行動は全く持って不当である。今すぐに現地へ届いている院から命令書に従って、余計な文句議論をせずに、領内から引き上げた後で、正しい理屈証拠があるならば、鎌倉へ詳しく申し出るように命じることは、この手紙の通りである。このことを命令する。元暦2年4月二十六日

「平家捕虜の入洛を法皇見物す」
 今日、前内大臣宗盛を始めとする平家の捕虜達が、呼ばれて京都へ連れてこられたので、後白河法皇はその京入りの様子を見るために、内緒で牛車を六条坊門(現五条通り)に控えさせたようです。午後四時頃になって、皆京都の町へ入りました。前内府宗盛・平大納言時忠はそれぞれ八葉車に乗り、前後の御簾を上げて、横の物見を開いていたようです。右衛門督淸宗は父宗盛の車の後ろに乗り、共に白い着物に立烏帽子である。土肥次郎實平は黒糸威の鎧を着用して、牛車の前にいた。伊勢三郎能盛は肩は白糸で他は赤糸威の鎧を着用して同様に牛車の後ろにいた。その他の武士達は牛車を囲んでいた。又、美濃前司則淸以下の者達も同様に連行されていた。前内藏頭信基と左中將時實は、怪我をしていたので、裏道を使ったようです。皆、一人残らず源廷尉〔義經〕の六条室町の屋敷に入ったようです。

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