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2008年3月24日 (月)

5月9日「渋谷重助の任官内挙なきため召名を除かる」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)5月9日辛卯
「渋谷重助の任官内挙なきため召名を除かる」
 澁谷五郎重助は、頼朝様の推挙を受けずに、京都朝廷から官職を貰ったことはけしからんので、今度の任官候補名簿からもはずしてしまうように、改めて命令が出ました。この人の父の澁谷庄司重國は、石橋山合戦のときは敵対したけれども、寛容に許可をして御家人として仕えさせているが、澁谷五郎重助はなおも平家に仕えて、何度もの勧誘に従わなかった。それなのに平家が都落ちをした時は、京都に残って木曾義仲軍に従って、義仲が滅亡したら、廷尉義經軍の忠実な部下となった。それらの沢山の罪も、強い武士だと云う名誉の方が勝っていると許したのに、挙句の果てに勝手に官職を拝領してしまった。とんでもないことなので、任官なんかさせるべきではないとお決めになりました。今回、父の澁谷庄司重國は豊後国へ行ったときに、先陣を切ったと云う手柄はあるけれども、源參河守範頼よりも先に勝手に京都へ帰ってきてしまったのは、やはり不愉快であるので、やはりだめだと、直ぐにこの一つ一つを伝えさせました。
「原田の所領功臣に分ち与ふ」
 又、原田大宰少貳種直の領地は、手柄を立てたものに分配するように、參河守範頼様へ命令を伝えさせたようです。

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