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2008年3月 1日 (土)

3月9日「範頼窮状を頼朝に告ぐ」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)3月9日壬辰
「範頼窮状を頼朝に告ぐ」
 源參河守範頼様が、九州から手紙を献上してきました。内容は、平家軍の拠点が近いと思い、何とかして豊後国(大分県)へ着いてみたら、庶民が皆逃げてしまったので、兵糧米を徴収の仕様がありません。そこで、和田太郎義盛兄弟や大多和二郎義成・工藤一臈祐經を始めとする侍達が、云う事を聞かないで(関東へ)帰ろうとするので、強引に押し留めて一緒に海を渡ってきました。なお一層の命令を出して戴いたほうが良いでしょう。
「熊野湛造讃岐に渡る」
 それと、熊の神社長官の湛増が、源廷尉〔義經〕の誘いに乗って、朝廷から追討使の任命を受け、近頃讃岐国(香川県)へ進軍して、今度は九州へもやってくると噂が入りました。四国への進駐は源廷尉〔義經〕が命じられ、九州への進駐は範頼が命じられた処です。それなのに更にそのような奴を指名すれば、まるで私の面子が立ちません。さらに九州には勇士がいないといわんばかりです。人はみな私の恥と思うでしょう。

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