« 五月4日「頼朝、景時の使に書を託し義経を煥発す」 | トップページ | 5月7日「義経起請文を頼朝に進ず」 »

2008年3月21日 (金)

5月5日「宝剣捜索を範頼に命ず」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)5月5日丁亥
「宝剣捜索を範頼に命ず」
 草薙の剣を探し出すように、下級役人を伝令として、源參河守範頼に命じました。概ね冬までは、九州に住み留まり、色々な戦後処理占領行政をして世の中を落ち着かせなさい。その連絡のついでに、澁谷庄司重國の豊後国での合戦(実は筑前の芦屋浦合戦)で、加摩兵衛尉(福岡県嘉麻市)を討ち取ったのは、大手柄だと感心していると伝えました。また、源參河守範頼には、従わせている御家人達の事については、たとえ思うように云うことを聞かない連中がいても、勝手に自分の判断で処分をしてはいけない。私が判断をするので関東の私に言いつけてきなさいとの事です。昨年、京都朝廷から正式に平家討伐司令官として、二人の弟の範頼・義經に後白河法皇の任命が出ました。そして、參河守範頼は九州を管理すること、廷尉義經は四国へ攻め入ること、そしてそれぞれの国々を管理するように、かねて命じてありました。しかし、今回廷尉義經が壇ノ浦合戦を終えた後、九州の事まですっかり権限を通り越して勝手に越権行為をしています。しかも、従軍している関東の武士が、少しでも云うことを聞かないとこれを許すことをしないで、又内容を頼朝様に伝えもせずに、ただ自分の意思を持って、勝手に処分をしていると聞こえて来ています。それはもう、多くの人を悩ますこととなっている。その罪は許しがたいので、廷尉義經の事は、頼朝様のお怒りに達しているようです。
「小山朝光帰る」
今日、小山七郎朝光(結城左衛門尉朝光)が関西から帰ってきました。

|

« 五月4日「頼朝、景時の使に書を託し義経を煥発す」 | トップページ | 5月7日「義経起請文を頼朝に進ず」 »