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2008年2月 9日 (土)

8月3日「義経に平信兼捜索を命ず」

「吾妻鏡」元暦元年(1184)8月3日己未
「大内の行賞要請を戒め、守護の職掌を説く」
 雨が降っています。大内冠者惟義(3月20日に伊賀国の守護に任命。5月15日志田義広を討ち取る。7月5日平家一族により家来を殺された。8月2日平家残党を滅ぼしたので表彰を望む。)の使者を呼び出し、詳しく書かれた手紙を与えました。その内容は、我々に逆らって戦を仕掛けてきた平家の連中を攻撃したことはとっても偉い。しかし、わざわざ表彰してくれなどと云って来ることは、とんでもない事だ。なぜならば、一国の守護に任命されたならば、揉め事を鎮めるのが仕事である。それなのに先日反逆者たちに部下を殺されたではないか。それは用心が足りないからだ。どうして落ち度でないだろうか。だから表彰の事は私の裁量に任せなさい。と言いつけました。又、別な使者を京都へ出発させました。
「義経に平信兼捜索を命ず」
今回の伊賀の国での武装蜂起は、出羽守信兼のせがれ達の仕業である。しかるにこの者どもは囲みの中から逃げ行方不明のようだ。多分京都市内に潜伏のようだ。かれらを早く探し見つけて、速やかに殺すようにと、源九郎義經に対して命令を出されたようです。安達新三郎が飛脚として出発したようです。

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