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2008年2月22日 (金)

2月16日「義経、東軍の先陣として讃岐に向ふ」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)2月16日庚午
「義経、東軍の先陣として讃岐に向ふ」
 関東の軍隊は、平家追討のため、讃岐国(香川県)へ向かいました。源九郎義經様は、先陣として今日午後6時頃船出しました。大蔵卿藤原泰經様は、源九郎義經様の晴れ晴れしい出陣の様子を見たいと云って、前の日から源九郎義經様の旅の宿に来ていました。そして、泰經卿は諫めて言うのには、「泰經は武士ではないので兵法は知らないけれども、おおよそ推測してみると、大將軍は昔から一戦の先陣を争ったりしないで、先に副将を行かせるべきではないか。」源九郎義經様は言いました。「私は特に思うところがあって、先陣をきって命を捨てようと思います。」と、直ぐに出発をしました。さすがに優れた武士であるというべきである。
「平家、屋島・彦島に陣を構ふ」
 一方平家は、陣営を二箇所に分けて構え、前内大臣の宗盛は讃岐国(香川県)の屋島に陣営を築いて、新中納言知盛は九州の兵隊を集めて門司関(下関)を固め、彦島を本陣と決めて、源氏軍を待ち構えているようです。
「頼朝重ねて範頼および義時・親能ら諸士に書を送る」
 今日、頼朝様は、相州鎌倉郡の山野を巡察していたので、藍澤原(横浜市瀬谷区相沢)で、源參河守範頼様への返書に添えて、追加のお手紙をお渡しになりました。又、別な手紙を北条義時殿、中原親能、比企藤内朝宗、比企四郎能員達にも出されました。それは、平家を滅ぼすまでは、皆で心を一つにして戦うようにという内容である。

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