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2008年2月21日 (木)

(1月6日の続き)「頼朝、九国の家人に下文を遣わす」

「吾妻鏡」元暦2年(1185)1月6日庚寅

(1月6日の続き)

 地元の人達が降伏してくるようなことがあれば、もてなして、よおく大切にするようにしなさい。豊後(大分県)の船を調達できれば、攻めるのはたやすいことである。四国へも船が少々あれば攻めるように云いたい。関東からの船は2月十日ごろに出発させる。
 今一度九州の事は、よく考えて支度して、急がず平穏に処置するように。また、侍たちがそのように自分勝手にしているのは返す返すもってのほかのけしからぬことである。実際そのようなことがないように。あちこちから自分の事を訴えてくるかもしれないが、いちいち人の云うことなんか聞いていることはない。誠にわかったというふうに振る舞っていれば、それだけでよいことである。また人が言わずとも、仕方がないようにしていることこそ、もっての外のことである。又、小山一族の人達は、どの人も特に大事にするように。宜しく。
 こちらより行ったものは、自分のことを考えれば、現在の知行や所領を支配していなくとも、そのような争論をしている状況ではないはずだ。そうした妨げはとどめさせるように。今はとにかく地元の人達をなだめすかしてでも旨く取り計らわれたい。九州の武士たちに四國を攻めさせるようにしなさい。
 此の使いは、下級役職の宗光・定遠・信方の三人を行かせました。信方・定遠は、京都に居たのを下させて、宗光だけが関東から京都へ上りました。委しい事は宗光が持っている文書に書きました。すべて良く取りはからって処置しなさい。宜しく。
  正月六日參河守殿 御返事
 重ねて命ずる。
 命令書を一枚送付しましたので、九州の地元の武士たちに見せてください。人を惑わす法師は用いないように。宜しく。
甲斐の武士たちの中で、伊澤五郎信光殿・加々美次郎長淸殿等は特に大事にしてください。加々美太郎光朝(武田信義)殿は、加々美次郎長淸の兄ではありますけど、平家についたり、木曾冠者義仲につ付くなど、よからぬ心で仕えているひとなので、所領などを与えるべき人ではない。弟の次郎殿だけを大事にしてあげるべきです。

「頼朝、九国の家人に下文を遣わす」
又、命令書を一通、九州の御家人たち全体へ発行しました。その命令書に書いてあることは、
 命じる 九州地方の武士たちへ
早く、鎌倉殿(頼朝様)の御家人になって、本領を保証してもらい、三河守(蒲冠者範頼)の命令に従って、心を一つに力を合わせて、朝敵である平家を滅ぼしなさい。
 右のとおり、九州の武士たちに命令して、朝敵を退治するように、後白河法皇の命令書が出されています。それなので鎌倉殿の代官の二人が京都へ上ったところ、三河守(蒲冠者範頼)は九州へ行き、源九郎義經は四国へ派遣されました。たとえ平家が四国に居ても、九州へ着いたとしても、皆それぞれに後白河法皇の命令を大事にして、三河守(蒲冠者範頼)の命令に従って、心を一つに力を合わせ、平家の賊徒を追討するように。そこで九州の官兵はこの点を承知し、すぐに勲功の恩賞を得るよう努めるように。以上を命令する。
  元暦二年正月日  前右兵衛佐源朝臣

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