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2008年2月 1日 (金)

2月15日「範頼・義經、合戦記録を鎌倉に進ず」

「吾妻鏡」寿永3年(1184)2月15日甲戌
「範頼・義經、合戦記録を鎌倉に進ず」
 午前八時頃に蒲冠者範頼・源九郎義經の伝令が攝津国(大阪府)から鎌倉へ到着し、合戦の記録を差し出しました。その内容は、先日の七日、一の谷合戦で平家の人たちが沢山命を落としました。前内大臣宗盛は船に乗って四国のほうへ逃げました。本三位中將重衡は捕虜にしました。越前三位通盛・薩摩守忠度・經俊は、蒲冠者範頼軍が討ち取り、但馬前司經正・備中守師盛・能登守教經の三人は、遠江守義定の軍が討ち取り、大夫敦盛・武藏守知章・業盛・越中前司盛俊以上四人は源九郎義經の軍が討ち取りました。このほかにも、首を上げること千人以上です。武蔵・相模・下野の軍勢がそれぞれに大きな手柄を立てました。それは追って後から書状にした上で、申し上げることにしたようです。

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