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2008年1月11日 (金)

1183年(壽永二年)閏10月17日「頼朝弟上洛という」

1183年 (壽永二年 癸卯)
[玉葉]閏10月17日 戊寅 天陰 
「義仲院への申状」
静賢法印が内密に告げ送り言いました。昨日義仲が法皇御所に参り、申し上げた。平氏は一旦勝ちに乗ると雖も、始終不安に及ぶべきではない。九州の者ども、味方すべきではない由の命令を遣はした。又山陰道の武士等、併しながら備中(岡山県西部)の国に在り。更に恐れ及ぶべきではないと。
「頼朝弟上洛という」
又頼朝の弟九郎(源の義経、実名知らず)、大将軍となり、数万の軍兵を統率し、上京を企てる由、承り及ぶ所である。其の事を防ぐため、急ぎ上洛する所である。もし事一定たらば行向かうべし。実でないならば此の限りに非ず。今二三日内、其の指図を承るべしということである。以上が義仲の申し状である。只今外聞に及ぶべきではない。密かに告げ申す所であると。平氏の不安有るべきでは無い由申しあげるの条、甚だ以て大言壮語の事か。
「秀衡東西より頼朝を攻むべき旨を義仲に示すという」
ある人云う、頼朝の家来等が多く以て秀衡の許へ向かう。依って秀衡は頼朝の士卒に異心有りの由を知り、内々飛脚を以て義仲に連絡した。この時東西より頼朝を攻めるべしの由であるようだ。此の告げを得て、義仲は戦をしないで、迷いながら帰京したようだ。此の如き事は実否は知り難き事か。

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