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2008年1月29日 (火)

2月10日「義経等義仲と平氏の首に差あるを欝申す」

[玉葉]2月10日 天晴 
「兼実母遠忌」
「義経等義仲と平氏の首に差あるを欝申す」
 夜に入り蔵人右衛門権佐定長が来て申した。法皇のお言葉に云く、平氏の首等、渡すべきではないの旨お思いである。而るに九郎義経・加羽の範頼等申して云く、義仲の首を渡され、平氏の首を渡されないの條、太だその謂われ無し。何故平氏を渡されないのかの由、殊に不満を申したようだ。この條はいかに協議し申すべしといえり。申して云く、その罪科を論ずるに、義仲と同様ではない。また帝の外戚(がいせき、母方の親類)等である。その身或いは大臣や納言に昇り、或いは近臣となる。誅伐(罪ある者を攻め討つ)を遂げられたと雖も、首を渡されるの條、不義と謂うべし。近くは則ち平治の乱の時、信頼卿の首は渡されざる所であると。
「神爾宝剣なお賊手にあり」
 之に加え、三種の神器は猶残りの賊の手中にある。無為に帰来の条、第一の大事である。もしこの首を渡されば、かの賊等いよいよ恨みの心を励ましむるか。よって傍々その首を渡すべきではない。将軍等は只ひたすらに所存を申すか。詳細を仰せられる上は、何ぞ強ち(あながち)に執り申すだろうか。頼朝は定めてこの旨を承り申さざるか。この上の処置は天皇の定めにあるべしといえり。定長云う、左大臣(経宗)、内大臣(実定)、忠親卿等に問われた。各渡すべきではない由を申し、一同したようだ。
「重衡書札を宗盛に送り剣爾を進上すべしという」
定長叉語りて云う、重衡が申して言うには、書状に使者を副え(重衡の郎従と)、前内府(宗盛)の許に遣わし、三種の神器を乞い取り進上すべしと。この事叶わずと雖も、試みに申請に任せ試さるべしと。

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