« 2月2日「樋口次郎さらし首」 | トップページ | 2月7日「一谷合戦に源氏大勝す」 »

2008年1月25日 (金)

2月5日「源氏両将摂津に到る」

「吾妻鏡」寿永3年(1184)2月5日甲子
「源氏両将摂津に到る」
 午後六時頃に蒲冠者範頼・源九郎義經の両將軍は摂津國(播磨との境の一の谷のそば)に到着しました。七日の午前六時頃に開戦の鏑矢を射あう時間と決めました。正面の大手口の総大将は蒲冠者範頼です。
「一谷合戦の軍勢」
これに従うのは、小山四郎朝政、武田兵衛尉有義、板垣三郎兼信、下河邊庄司行平、長沼五郎宗政、千葉介常胤、佐貫四郎廣綱、畠山次郎重忠、稻毛三郎重成、同四郎重朝、同五郎行重、梶原平三景時、同源太景季、同平次景高、相馬次郎師常、國分五郎胤道、東六郎胤頼、中條藤次家長、海老名太郎、小野寺太郎通綱、曾我太郎祐信、庄司三郎忠家、同五郎廣方、塩谷五郎惟廣、庄太郎家長、秩父武者四郎行綱、安保次郎實光、中村小三郎時經、河原太郎高直、同次郎忠家、小代八郎行平、久下次郎重光を始めとして五万六千騎です。

裏側の搦手の総大将は源九郎義經です。従う人達は、遠江守義定、大内右衛門尉惟義、山名三郎義範、齋院次官親能、田代冠者信綱、大河戸太郎廣行、土肥次郎實平、三浦十郎義連、糟屋藤太有季、平山武者所季重、平佐古太郎爲重、熊谷次郎直實、同小次郎直家、小河小次郎祐義、山田太郎重澄、原三郎淸益、猪俣平六則綱を始めとした二万騎余です。
「両軍三草山の東西に対陣す」
 平家は、この情報を聞いて、新三位中將資盛卿、小松少將有盛朝臣、備中守師盛、平内兵衛尉淸家、惠美次郎盛方を始めとする七千騎余を摂津の國の三草山の西に着きました。源氏は同様に三草山から東へ三里(12km)ほど離れて陣を敷きました。山を挟んで東西に源平が揃いました。源九郎義經殿は、田代信綱や土肥實平と戦の相談をして、夜明けを待たずに夜中のうちに新三位中將資盛卿を襲撃しました。それなので平家は慌てふためいてばらばらに逃げ散ってしまいました。

|

« 2月2日「樋口次郎さらし首」 | トップページ | 2月7日「一谷合戦に源氏大勝す」 »