2月2日「樋口次郎さらし首」
「吾妻鏡」寿永3年(1184)2月2日辛酉
「樋口次郎さらし首」
樋口次郎兼光をさらし首にしました。澁谷庄司重國がこれを任されて、家来の平太男に命じました。しかし、うまく首を切れませんでしたので、重國の息子の澁谷次郎高重がこれを切りました。しかし先月二十日の戦で怪我をしていたので、片手で切ったようです。この兼光は、武蔵國児玉党の人達と仲良くしていたので、児玉党の今までの手柄に免じて、樋口次郎兼光の命を預かりたいとお願いをしましたので、源九郎義經はそのことを朝廷に申し上げましたが、罪がとても重いという事で、とうとう許可にはならなかったようです。
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