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2008年1月19日 (土)

壽永3年(1184)1月20日「範頼・義經、義仲討伐のため上洛す」

「吾妻鏡」壽永三年(1184)正月小廿日庚戌
「範頼・義經、義仲討伐のため上洛す」
範頼、義經が頼朝の使者として数万騎の軍隊を引き連れて入京しました。これは義仲を追討するためです。今日、源參河守範頼は勢田の大橋から京都へ入り、源九郎義經は宇治道から京都へ入る。木曽、志田三郎先生義広・今井四郎兼平以下の軍兵をもち、かの両道において防戦したが、皆もって敗北した。
蒲冠者範頼・源九郎義經は河越太郎重頼・その長男小太郎重房・佐々木四郎高綱・畠山次郎重忠・澁谷庄司重國・梶原源太景季達を連れて六条殿へ走って行き、法皇の御所を護衛しました。
「義仲戦死す」
その間に、一條次郎忠頼以下の勇士達は、あちこちへ競って走りました。そして遂に近江の国粟津の辺りで、相摸國の石田次郎為久に、木曾冠者義仲を殺させました。その他に錦織義廣等は逃亡したようです。
(没年記事)
 征夷大将軍従四位下行伊予の源朝臣義仲「年三十一」東宮帯刀長義賢の男子
 寿永二年(1183)八月十日左馬頭に任命。越後の守を兼任して従五位下を受ける。同十六日伊予の守へ転任。
 十二月十日に左馬頭を辞任。同十三日には従五位上を受ける。同様に正五位下を受ける。
 元暦元年(1184)正月六日従四位下を受ける。十日には征夷大将軍に任命された。

 檢非違使右衛門權少尉源朝臣義廣 伊賀の守義經の男子
 寿永二年(1183)十二月二十一日右衛門權少尉に任命。「元は無位無官」檢非違使の宣旨を戴きました。

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