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2007年6月26日 (火)

8.法住寺御所への攻撃・法皇の幽閉は義仲追討の理由か

8.法住寺御所への攻撃・法皇の幽閉は義仲追討の理由か

 頼朝が義仲を追討した理由として、法住寺御所への攻撃や法皇の幽閉を挙げる記述を見かけるが、「吾妻鏡」によれば、義仲追討の正式な理由は平家と和議を企てた事が頼朝への謀反とされたようである。参考「吾妻鏡」寿永三年三月一日「頼朝、平氏追討の下文を西国住人に遣わす」「・・・東海道は遠江の守義定朝臣、北陸道は左馬頭義仲朝臣、鎌倉殿の御代官として、両人上洛するところである。兼ねてまた義仲朝臣、平家と和議のために謀反の条、不慮の次第である。よって院宣の上に、私に処罰を加え、かの義仲を追討せしめました。」
 とにかく頼朝は謀反の名目で義経や範頼など平家追討に貢献した多くの武士を追討している。後の北条氏の行状から推測すれば、北条氏の策略の可能性が高い。
 平家や義仲追討の根拠として、以任王の令旨以外に後白河法皇の密命を挙げる解説が見られるが、「吾妻鏡」文治元年十二月六日の九条兼実への書状に「頼朝は伊豆国の流人として、特別なご指示も頂かなかったにもかかわらず」となっている。つまり頼朝が勝手にやったようだ。

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