5月28日 「曽我兄弟、工藤祐経を討つ」
5月28日
「曽我兄弟、工藤祐経を討つ」
「十郎新田忠常に討たれ、五郎は捕はる」
「頼朝、五郎を尋問す」
「五郎斬られる」
6月1日 丙申
「大磯の虎喚問後釈放さる」
曽我の十郎祐成の妾の大磯の遊女(虎と号す)これを召し出されると雖も、口状の如きはそのとがめ無しの間これを放ち遣わされた。
「五郎の弟律師を召す」
また五郎の弟の僧がいました。父河津の三郎(祐泰)が若死にの後、五ケ日に当たり生れる所である。而るに伊東の九郎祐清の妻がこれを収め養いました。祐清は平氏に加わり、北陸道合戦の時討ち取られた後、その妻は「武蔵の守(大内)義信」に嫁いだ。件の僧は同じく相従い武蔵の国府に在りました。兄等と同意に行わるべきの由、祐経の妻子が訴え申すの間、詳細を尋ねられる為、御使いを(大内)義信朝臣が許に遣わされた。祐成等の継父の曽我の太郎祐信、恐怖におそわれると雖も、同意の証拠無きに依って寛大に処されたようです。
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