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2007年6月 1日 (金)

7月26日「勅使征夷大将軍の除書を持参す」

7月26日 丙申
「勅使征夷大将軍の除書を持参す」
 勅使(天皇の使い)の廰官の肥後の介中原景良・同康定等が参着した。征夷大将軍の人事異動の文書を持参する所である。両人(各々衣冠を着す)例に任せ鶴岡の神社の庭に列び立ち、使者を以て文書を進上すべきの由これを申した。三浦の義澄を派遣された。義澄、比企左衛門の尉能員・和田の三郎宗實並びに郎従十人(各々甲冑)を相伴い、宮寺に詣で彼の状を請け取った。景良等名字を問うの処に、介の人事異動の文書未だ到らざるの間、三浦の次郎の由名のりました。則ち帰参した。幕下(頼朝)は御束帯で予め西廊にお出なされた。義澄は人事異動の文書をささげ持ち、ひざまづいて進みこれを進上した。千万人の中に義澄この役に応じた。面目は絶妙である。亡父の義明は命を将軍に献上しました。その勲功は髭をきると雖も没後に酬い難し。仍って子息を抜き出して賞されました。
  人事異動の文書に云く、
    左少史三善仲康           内舎人橘の實俊
    中宮権の少進平の知家        宮内少丞藤原の定頼
    大膳の進源の兼光          大和の守大中臣宣長
    河内の守小槻廣房(左大史の任を辞す)尾張の守藤原忠明(元伯耆の守)
    遠江の守藤原朝房(元陸奥)     近江の守平の棟範
    陸奥の守源の師信          伯耆の守藤原宗信(元遠江)
    加賀の守源の雅家          若狭の守藤原保家(元安房)
    石見の守藤原経成          長門の守藤原信定
    対馬の守源の高行          左近将監源の俊實
    左衛門の少志惟宗景弘        右馬の允宮道式俊
      建久三年七月十二日
   征夷使
     大将軍源の頼朝
   従五位下源の信友
 左衛門の督(通親)参陣、参議兼忠卿これを書く。将軍の事、本より御意に懸けられると雖も、今までにこれを達せしめなさらず。而るに法皇のお亡くなりの後、朝政の初度に、殊に指図有って任ぜられるの間、ことさらに以て勅使に及ぶようです。また(八田)知家が指図として、「武蔵の守(大内義信)」の屋敷を選び定め、勅使を招き酒食の接待をしました。

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