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2007年6月 9日 (土)

1194年 (建久5年) 2月2日「泰時元服す」

1194年 (建久5年 甲寅)

2月2日 甲午 快晴
「泰時元服す」
 夜に入り江間(義時)殿の嫡男(泰時)(童名金剛、年十三)が元服した。幕府(将軍の館)に於いてその儀式が有りました。西侍に敷物を三行に構えた。
  一方の着座
    「武蔵の守(大内)義信」          上総の介(足利)義兼
    伊豆の守(山名)義範          信濃の守遠義
    相模の守(大内)惟義          江間の小四郎(義時)殿
    大和の守重弘          八田右衛門の尉知家
    葛西兵衛の尉清重        加藤次景廉
    佐々木の三郎盛綱
  一方
    千葉の介常胤          畠山の次郎重忠
    千葉の新介胤正         三浦の介義澄
    梶原平三景時          土屋の三郎宗遠
    和田左衛門の尉義盛       籐九郎盛長
    三浦左衛門の尉義連       大須賀の四郎通信
    梶原刑部の丞朝景
  一方
    北條(時政)殿             結城の七郎朝光
    下河邊の庄司行平        小山左衛門の尉朝政
    宇都宮の彌次郎頼綱       岡崎の四郎義實
    宇佐美右衛門の尉祐茂      榛谷の四郎重朝
    比企右衛門の尉能員       足立左衛門の尉遠元
    江戸の太郎重長         比企の籐内朝宗
 時刻に、北條殿(時政)が童形(泰時)を相具して参上された。則ち将軍家(頼朝)お出なされ、御加冠の儀が有りました。「武州(武蔵の守大内義信)」・千葉の介(常胤)等が照明を取って左右に従いました。名字は太郎頼時と名乗りました。次いで御鎧以下を新冠に献上された。また御引出物を頂いた。御劔は里見の冠者義成これを伝えた。次いで三献(さんこん)・椀飯(わうばん)、その後盃酒数巡し、殆ど歌舞に及びました。次いで三浦の介義澄をそばに呼び、この冠者を以て聟と為すべきの旨命じなされました。孫娘の中、良き娘を撰び、仰せに随うべきの由これを申しました。
(解説)
三献(さんこん)・・・三つの杯で一杯ずつ飲ませ膳を下げ、これを三回くりかえす。
椀飯(わうばん)・・・食事の接待

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