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2007年5月19日 (土)

7月28日 「吾妻鏡」「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」

7月28日 「吾妻鏡」癸卯
「新日吉領河肥・向津奥両庄の武士狼藉を停む」
 師中納言(経房)のご命令文書が到来した。新日吉領の武蔵の国河肥庄の地頭が徴収を拒否する去々年の年貢の事、並びに同領長門の国向津奥庄の武士の狼藉の事、庄家の上申書を取りこれを下された。早く尋問し成敗なされるべきの由、これを記録された。去る六月一日の御文書である。向津奥の事は、尋問すべきの趣、当座に於いて直に下河邊庄司行平にご命令された所である。河肥の事は管理を請け負う所である。但し領主は幼少の間、年貢の如き事、殊に不法の事有るようです。別の執行人を差し向け、厳密な識別を致させるべきの旨、御文書を「武蔵の守(平賀大内義信)」の許に遣わされたようです。(藤原)俊兼が執行人のようです。

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