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2007年5月 4日 (金)

「猫おろし事件の真相」7.ひらたけと松茸

7.ひらたけと松茸

 平家物語では木曽義仲が「ひらたけ」を勧めている。現代人から見ると、なぜ松茸が出てこないのか。4千年の歴史を誇る中国では、現在でも松茸は「変な臭いのするきのこ」に分類されており、食べない。松茸を好むのは世界でも日本人のみのようである。最近は韓国でも少し食べるらしい。松茸の匂いを嗅がせて脳波を調べたら、心地よいという反応が出たのは日本人のみで、外国人は全て不快な反応のようである。松茸を食べる習慣は日本で独自に広まったようである。平安時代や平家物語が文章化されたころにはひらたけは一般にも食べる習慣があるが、松茸はまだ貴重ではなかった。京都の役人が地方へ赴任する旅の途中で崖から落ちた時、ひらたけを見つけ、ついでに取ってくるという話しがある。「今昔物語」に「谷底に落ちても平茸《ひらたけ》を取る話」。「御読経《みどきょう》の僧が平茸《ひらたけ》にあたる話」がある。平安時代は松茸よりひらたけに人気があったようだ。松茸の人気が出たのは戦国時代以後のようだ。(参照3)

参考3. 松茸について

参照 ものと人間の文化史「松茸」有岡利幸 法政大学出版局

 松茸は主に松の木の根本附近に生育する。松茸の菌は雑菌に弱いようである。昔はいろりやかまどを使用した。その焚きつけの材料に松の枯れ葉や枯れ枝が利用された。松の木の根本附近はきれいだった。松茸がよくとれた。現代ではプロパンガスや石油ストーブの普及で松の木の根本は落ち葉が堆積している。雑菌が繁殖し、松茸は採れない。
 奈良時代、三笠山(奈良市)には、マツタケがあふれるほど生えたらしい。官吏の夕げの膳(ぜん)には、焼きマツタケが並ぶこと連日で、「もう飽きた」という声が上がったという。平安時代になっても人気はなく、「古今和歌集」や「新古今集」には載っていない。やっと「梁塵秘抄」に「聖(ひじり)の好むもの……、松茸(まつたけ)、平茸(ひらたけ)、滑薄(なめすすき)」とある。
 マツタケを好んだのは、どうも僧侶のようだ。安土桃山時代から江戸時代初期まで、京都の鹿苑院(金閣寺)の首座が書きつづった日記では、秋になるとマツタケを贈り合い、吸い物で酒盛りをしたり、時には赤松林の中で焼きマツタケを楽しんだりしている。この頃には公家の間でもマツタケは広まり、天皇家の調度品の管理をしていた山科家の日記にも同様の記事が出てくる。
 日本料理が完成する文化文政年間(19世紀初頭)には、京都・丹波のマツタケは早飛脚で大阪・天満に運ばれるようになった。庶民の楽しみはマツタケ狩りで、京都・北山ではどんちゃん騒ぎが続き、奉行所から禁止令を受けている。
 食べ方の横綱は、焼きマツタケだろう。豪快なのは、大きな土瓶にマツタケを姿のままぎっしりと詰め、塩と酒をふりかけてふたをし、注ぎ口を松葉で詰めて蒸し焼きにしたものだ。それに比べると、最近の土瓶蒸しは吸い汁に浮かんだペーパークラフトのようなものだ。
 昭和30年代初めまで、マツタケは一般の食卓によく上っていた。ある名誉教授の話では、京都大の食堂ではマツタケが入ったうどんが28円、ラーメンが30円だったそうだ。ある料理教室でも、他人丼やすき焼きはマツタケと牛肉の組み合わせだった。
 それが、いまでは京都・錦市場の京野菜専門店ですら中国・雲南や吉林産が並ぶ。ほかの店には北朝鮮やメキシコ産もある。丹波産が出回る9月下旬になっても、料理屋は勘定が合わないから外国産を使う。外国産は生える松の種類や土壌が異なるため、味や香りが違う。素材の味を生かす和風料理には向かず、ニンニクや油の力を借りて厚化粧せざるを得ない。
 国内産が採れなくなったのは、近年猛威を振るうマツクイムシのせいだけではない。田舎の家庭にプロパンガスが普及したことで、貴重な燃料だった赤松の林への手入れがおろそかになったからのようだ。社会環境の変化は、食文化も変えるのだ。

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