« 「猫おろし事件の真相」 | トップページ | 「猫おろし事件の真相」5.文章技法 »

2007年5月 1日 (火)

「猫おろし事件の真相」4.食事の時間と作法

「猫おろし事件の真相」

4.食事の時間と作法

 礼儀作法も自分の地域のやり方が標準で、最善と思い込むようだ。食事の習慣や作法が武士と公家、田舎と京都で異なることが原因である。当時貴族は一日朝夕の2食だった。武士は腹が減っては戦が出来ぬということで3食であり、戦の時は5食のようである。当時は飢饉で食糧が不足していた。
 戦後の食糧難の時代に子供は親から言われた。「食事時に他の家に行くな。食事を出さねばならないので迷惑をかける。お茶はいいが、お茶菓子には直ぐ手を出すな。何回か勧められたら少しは食べても良い。全部食べるな。」ということで出すほうは何回か勧めるのが礼儀である。かなり食料事情が良くなっても、年輩のおばあさんはお菓子をしつこく勧めるくせがあった。その息子は「うちのばあちゃんは古いから」と苦笑していた。
 猫間中納言も貴族と武士の食事時間の習慣の違いくらいは承知していただろう。食事の中間を見計らって訪ねたはずである。しかし、意外に話しが長引いた。運上物の取り扱いに困難がある。知行国の越後、あるいは道中の話題で長引いた。あるいは義仲の父の義賢と猫間中納言が知り合いであつたかもしれない。とにかく話しが長引いて食事時になった。
 当時貴族は仏教の影響で菜食中心で主食は白米だった。武士は主食は玄米で副食は何でも食べた。義仲は食器は田舎から持参のもので、その中でも一番良い物を客に出した。飢饉の時代である。客は遠慮している。あるいは粗末な内容に手を出しにくかった。主人は勧めるのが礼儀である。「速飯、速便、速駆け」はかっての旧日本軍では常識であった。義仲は早食いだった。貴族はゆっくり上品に食べるのが常識だから、早食いに驚いたかもしれない。しかし、猫間中納言は飢饉のときでも贅沢だった。こんな粗末な食器で粗末な食事はのどに通らない。公家化した平家の武士とのあまりの違いにとまどう貴族の様子が見える。ほとんど残してしまった。食べ残しを持ち帰るのは地方では当たり前で、現代でも「持ち帰り」出来る店もある。しかし、貴族及びその周辺は贅沢だつた。こんなものが食えるかと食器ごと投げ捨てて帰った。都の人は上も下も贅沢だと嘆く話しである。(平家物語延慶本、源平盛衰記など)当時京都は大飢饉で死者が何万人も出たそうである。それでも公家連中は贅沢していたかもしれない。やや落ち目とはいえ公家貴族の悪口は言えない。
 貴族が粗末な食べ物を残し、従者すら残り物を捨てて帰った。この状況から京都付近は飢饉では無かったという説もある。しかし、貴族というのは特権階級である。当時の日本の全人口が数百万人ないし一千万人以下に対して京都の公家貴族はわずか数百人である。殆どの人民は農奴のような生活で生産物の殆どは税として徴集された。殆どの貴族は広い屋敷と蔵を持ち、飢饉に備えた。飢饉のときは蔵の備蓄が若干減るのみである。飢えた京都市民などがどさくさに紛れて蔵を開けて略奪したのかもしれない。
 京都では「おぶ(お茶)でもどうぞ」は完全な挨拶言葉だから、お茶は出てこないし、早く帰れの合図でもある。地方では「お茶でも飲んでけ」と本当にお茶を出してくれる。まさに「田舎の常識」は「都の非常識」、「都の常識」は「田舎の非常識」、「日本の常識」は「世界の非常識」、「世界の常識」は「日本の非常識」である。郷に入らば郷に従えともいう。

|

« 「猫おろし事件の真相」 | トップページ | 「猫おろし事件の真相」5.文章技法 »