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2007年5月 9日 (水)

平賀(大内)義信

平賀(大内)義信

1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)

5月21日 戊申
「頼朝、泰経に遷任・任官の事奏請を請ふ」
 武衛(頼朝)は御文書を泰経(高階、大蔵卿)朝臣に遣わされた。これは池前の大納言(平頼盛)・同息男を元の官職に復職されるべき事、
並びに御一族の源氏の中、範頼・廣綱(伏見)・(平賀、大内)義信等、一州の国司をゆるされるべき事、内々協議し天皇に申し上げされるべきの趣旨である。大夫屬入道(善信、俗名康信)この御文書を書き、雑色の鶴太郎に任せたようです。
(解説)
範頼・・・頼朝の弟、義経と共に義仲追討、平家追討に功績あり。
廣綱・・・源頼政の孫、頼政の息子仲綱の息子。
義信・・・甲斐源氏。源義家の弟・新羅義光の孫。平治合戦の折り、義朝・頼朝と共に戦う。信濃佐久平賀の武将。
大夫屬入道(善信、俗名康信)は治承4年6月19日使者を送り京都の情勢を伝えている。元歴元年4月14日に京都から鎌倉に到着した。
 頼盛は命の恩人、範頼は弟で一ノ谷合戦の功労者だが、義信の功績は何だろう。「吾妻鏡」の記述では元暦元年5月21日からいきなり始まり武蔵の守に推薦される。弟の範頼に続く厚待遇である。前年の寿永2年の記述が無いので、どのような功績か不明である。佐久の武将根井行親の近くにいたので、義仲挙兵の初期は義仲に協力したようだが、寿永2年からは頼朝に従がったようだ。

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