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2007年5月16日 (水)

9月3日「義朝の遺骨を南御堂の地に葬る」

9月3日 癸未
「義朝の遺骨を南御堂の地に葬る」
 御前零時頃、故左典厩(義朝、頼朝の父)の御遺骨(正清の首を副える)を南御堂の地に埋葬なされました。路次(旅)御輿を用いられました。恵眼房・専光房等この事を指図いたすものである。武蔵の守(平賀)義信・陸奥の冠者頼隆が御輿をかきました。二品(頼朝)は白地の衣服を御着用なされ、お参りなされました。御家人等多く行列に加わると雖も、皆囲いの外に止められました。ただ召しお供される所は、(平賀)義信・頼隆・(大内)惟義等である。武州(平賀)は、平治の逆乱の時亡父の御共(時に平賀の冠者と号す)をいたしました。頼隆は、またその父毛利の冠者義隆、亡者の御身に相替わり討ち取られました。かれこれ昔からのよしみの跡を思いなされるに依って、これを召し選抜されたようです。
(解説)
左典厩(さてんきゅう)・・・左馬頭(さまのかみ)。馬寮(めりょう、官馬の役所)の長官。
正清・・・鎌田次郎兵衛尉、藤原。平治の乱の後、義朝、頼朝、義信らと共に東国へ向かう。
義隆・・・陸奥六郎義隆。平治の乱の後、天台山にて討ち死に。

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