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2007年5月22日 (火)

7月10日「頼家着甲始めの儀」

7月10日 甲辰
「頼家着甲始めの儀」
 若公(万寿公、七歳)始めて御甲(よろい)を着用なされた。南面に於いてその儀式が有りました。時刻に二品(頼朝)がお出ましになりました。江間(義時)殿参進し御簾(みす)を上げました。次いで若公がお出ましでした。「武蔵の守(平賀)義信(乳母夫)」・比企の四郎能員(乳母兄)これをたすけました。しばらくして小山兵衛の尉朝政、御甲直垂(青地錦)を持参した。以前の御装束を改め、朝政が御腰を結びました。次いで千葉の介常胤、御甲納櫃(おさめびつ)を持参した。子息胤正・師常これを担ぎ前行した。胤頼がたすけ、また後に従いました。常胤御甲を南に向かい立てました。この間、梶原源太左衛門の尉景季が御剣を進上した。三浦の十郎義連が御劔を進上した。下河邊庄司行平が御弓を持参した。佐々木の三郎盛綱御が征矢(そや)を献上した。八田右衛門の尉知家が御馬(黒、鞍を置く)を献上した。子息朝重これを引いた。三浦の介義澄・畠山の次郎重忠・和田の太郎義盛等が助けて乗せました。小山の七郎朝光・葛西の三郎清重が騎轡(くつわつら)に付きました。小笠原の弥太郎(長経)・千葉の五郎(胤通)・比企の彌四郎(時貞)等が御馬の左右にそばに仕えました。三度南庭を打ち廻り下りました。今度は足立右馬の允遠元これを抱きました。次いで甲以下解き脱ぎました。
 親家、御武具・御馬をいただいて、御厩(おうまや)の納殿(おさめどの)等に入りました。その後武州(平賀義信)御馬を二品(頼朝)に献上した。里見の冠者義成これを引きました。
 次いで西侍に於いて酒宴が有りました。二品釣殿の西面(母屋の御簾を上ぐ)にお出ましになりました。武州(平賀義信)が準備する所である。初献の御酌は朝光、二献は義村(三浦)、三献は清重(葛西)である。お入りの後、武州(平賀義信)が酒とさかな並びに生衣(すずし)一領、同じく小袖五領を御台所(政子)に差し上げた。若公の御吉事を祝賀し申すが故である。
(解説)
征矢(そや)・・・戦闘用の矢
騎轡(くつわつら)・・・くつわ。くつわに連なる手綱。
生衣(すずし)・・・生の絹糸の織物。

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