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2007年5月27日 (日)

7月19日「頼朝奥州に進発す」「城長茂供に加えらる」

7月19日 丁丑
「頼朝奥州に進発す」
 午前10時頃、二品(頼朝)は奥州の(藤原)泰衡を征伐する為出発なされた。
「城長茂供に加えらる」
 この刻、(梶原)景時申して云く、城の四郎長茂は無双の勇士である。囚人と雖も、この時召集し供にされれば何事か有ろうかと。尤も然るべきの由仰せられた。仍ってその趣を長茂に会い知らせました。長茂は喜悦を成し御共に仕えました。但し囚人として旗を差すの條、その恐れ有り。御旗をいただくべきの由これを申しました。しかるに仰せに依って私の旗を用いました。時に長茂は同僚に談りて云く、この旗を見て、逃亡する家来等来たり従うべしと。御出発の儀、先陣は畠山の次郎重忠である。先ず人夫八十人が馬前に在りました。五十人は人別に戦闘用の矢三腰(雨衣を以てこれを包む)を荷ないました。三十人は鋤鍬(すきくわ)を持たせた。次いで引馬三頭、次いで重忠、次いで従軍五騎、所謂長野の三郎重清・大串の小次郎・本田の次郎・榛澤の六郎・柏原の太郎等これである。凡そ鎌倉出の御勢は一千騎である。次いで御駕(御弓袋差し・御旗差し・御甲冑等、御馬前に在り)。
  鎌倉出御より御共の輩、
   「武蔵の守(大内)義信」   遠江の守(安田)義定  参河の守範頼     信濃の守(加々美)遠光
   相模の守(大内)惟義   駿河の守(源)廣綱  上総の介(足利)義兼     伊豆の守(山名)義範
   越後の守(安田)義資   豊後の守(毛呂)季光  北條の四郎(時政)  同小四郎(義時)
   同五郎(時房)      式部大夫(中原)親能  新田蔵人義兼     浅利の冠者遠義
   武田兵衛の尉有義 伊澤の五郎(武田)信光 加々美の次郎長清   同太郎長綱
   小山兵衛の尉朝政 同五郎宗政   同七郎朝光      下河邊庄司行平
   吉見の次郎頼綱  南部の次郎光行 平賀の三郎朝信    三浦の介義澄
   同平六義村    佐原の十郎義連 和田の太郎義盛    同三郎宗實
   小山田の三郎重成 同四郎重朝   籐九郎盛長      足立右馬の允遠元
   土肥の次郎實平  同彌太郎遠平  岡崎の四郎義實    同先次郎惟平
   土屋の次郎義清  梶原平三景時  同源太左衛門の尉景季 同平次兵衛の尉景高
   同三郎景茂    同刑部の丞景友 同兵衛の尉定景    波多野の五郎義景
(以下略)

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