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2007年5月12日 (土)

7月20日「鶴岡若宮の傍らに熱田社を勧請す」 

7月20日 丙午
「鶴岡若宮の傍らに熱田社を勧請す」
 この間、鶴岡若宮の傍らに於いて、社殿を新造されました。今日熱田大明神(名古屋市熱田区)を勧請(かんじょう)し奉らる所である。仍って武衛(頼朝)お参りされました。武蔵の守(平賀)義信・駿河の守廣綱以下の門客等、殊に外出の装束を整え行列に加わりました。結城の七郎朝光が御劔を持ちました。河匂の三郎實政が御道具をささげ持ちました。この實政は、去年の冬上京の時、渡船の論に依って、一條の次郎忠頼と合戦するの間、御機嫌を損なうと雖も、武勇の誉れかなりの昔の聞こえに恥じません。幾数け月を経ずお許しが有りました。あまりさえ、この役に従事し、親しみ近づきなされました。観る者不思議の思いを成すようです。御遷宮の事が終了の後、貢税料所として、相模国内の一村を御寄附されました。筑後権の守俊兼が神前に召され、御寄附状を書きました。
(解説)
勧請(かんじょう)・・・分霊を迎える。
門客(もんかく)・・・譜代でなく新規召し抱えの家臣。
結城の七郎朝光・・・小山、頼朝の御乳母の末子
河匂の三郎實政・・・河匂荘(現在の二宮町)の武士らしい。
一條の次郎忠頼・・・甲斐源氏。武田。元歴元年6月16日に殺された。
遷宮(せんぐう)・・・神社の本殿の造営修理に際し、神体をうつすこと。
貢税料所(ぐぜいりょうしょ)・・・神社仏閣の費用に供するために寄進された知行所。
筑後権の守俊兼・・・藤原、右筆(書記)

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