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2007年5月18日 (金)

1186年 (文治2年) 1月3日「頼朝直衣始め儀、鶴岡社に詣づ」

1186年 (文治2年 丙午)

1月3日 壬午 去る夜の雪猶地に委す
「頼朝直衣始め儀、鶴岡社に詣づ」
 去年二品に任官なされた後、未だ御直衣始(なほしはじめ)めの指図がありません。豫州(義経)の事に依って、世上未だおだやかに治まらずと雖も、且つは人民安堵の思いを成さしめんが為、今日その儀、服装を整え、行列の威儀をただされた。則ち鶴岡八幡宮にお参りなされました。左典厩(一条能保)・前の少将時家等参会しました。また「武蔵の守(平賀)義信」・宮内大輔重頼・駿河の守(源)廣綱・散位(源)頼兼・因幡の守(大江)廣元・加賀の守(源)俊隆・筑後権の守(藤原)俊兼・安房判官代(源)高重・籐判官代邦通・所雑色基繁・千葉の介常胤・足立右馬の允遠元・右衛門の尉(八田)朝家・散位(東)胤頼等が行列に加わりました。随兵十人は最末に在り。
    武田兵衛の尉有義  板垣の三郎兼信 工藤庄司景光  岡部権の守泰綱  渋谷庄司重国
    江戸の太郎     市河別当行房  小諸の太郎光兼 下河邊庄司行平  小山の五郎宗政
「東胤頼、父と対座す」
 神への捧げの事が終り、お帰りの後、椀飯(食事会)が有りました。そもそも今日御神拝の間、行列に加わる人等、神社の庭の左右に相分かれ着座した。而るに東胤頼(とう たねより)は父常胤に相対して着座した。いささか座の下方に寄るようです。人々は感心しなかった。これ命令に依って此の如しのようです。常胤は父たりと雖も六位である。胤頼は子たりと雖も五品である。官位は天皇の授けた所である。何ぞ賞せざるやの由命令下されたようです。この胤頼は、平家が天下の権を執るの時、京都に滞在すと雖も、更にその栄貴にへつらわず。遠藤左近将監持遠の推挙に依って、上西門院(統子)に仕えた。御給を被り従五位下に任官した。また持遠のよしみに就いて、神護寺の文學上人を以て師僧と檀家と為した。文學が伊豆の国に在る時味方となり、二品に示し申すの旨有り。遂に義兵を挙げなさるの頃、父の常胤に勧め最前に参向せしめた。兄弟六人の中殊に大功をぬきんずる者である。

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