2月6日 「吾妻鏡」「奥州の使者に凶徒懐柔策を與ふ」
2月6日 「吾妻鏡」庚寅
「奥州の使者に凶徒懐柔策を與ふ」
午前8時頃、奥州の飛脚が参着した。申して云く、去る月二十三日彼の国を出立しました。その日未だ都から到着の軍兵は無し。爰に兼任等逆賊の群集は蜂の如しとのようです。則ち雑色の里長を件の使者に相副え下し遣わされた。この間計略を廻らすべきの詳細、十分に命令遣わす所である。
先ず謀叛の者どもの事、悉く死罪を遁れ難きものである。而るに降人として参るの時は、死罪・流刑共に以て御命令に任すべき事である。然れば国中の者ども、一旦兼任の猛威に怖れ、彼の逆心に同心せしむと雖も、真実の志は定めて味方に在るかもしれない。帰降したてまつるの族に至りては、刑をゆるくすべきの由、兼ねて国中に公開すべし。偏に以て追討すべきの趣旨を公開有るに於いては、面々退心を発し、強いて合戦を遂げば、味方の為にその煩い有るべしと。
次いで新留守所・本留守、共に兼任に同意の罪科が有り。かれこれ言わず罰されるべきと雖も、暫く葛西の三郎清重に預けられ、甲(よろい)二百領の過料を召すべしと。本留守は、年齢すでに七十、死刑に処せられずと雖も、人の終わりは程無き事かと。
次いで各々方の軍勢共の中、塩釜以下の神社の領地に入り、狼藉を表現すべからずと。
| 固定リンク