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2007年4月15日 (日)

6月13日 「吾妻鏡」「皆河権六太郎厚免せらる」

6月13日 「吾妻鏡」癸丑
「頼朝、永福寺造営工事を観る」
 頼朝様は新造の御堂の地においでになられた。畠山の次郎・佐貫の四郎大夫・城の四郎・工藤の小次郎・下河邊の四郎等がはりや棟木を引く。その力すでに力士数十人の如し。筋力を盡すべき事等各々一時に功を成し、観る者の目を驚かせた。頼朝は感心なされた。凡そ地ならしと云い営作と云い、江間(義時)殿以下手づからこれを指図した。
「皆河権六太郎厚免せらる」
 爰に土を夏毛の行騰(むかばき)に納れて運ぶ者が有りました。その名を尋ねられるの処、景時申して云く、囚人皆河の権六太郎であるようです。その功績に感心し、忽ち特別の厚意によって罪を許されました。これ木曽の典厩(義仲)随一の者である。典厩が誅せられるの後、囚人として梶原に召し預けられたようです。
(注釈)
行騰(むかばき)・・・毛皮の腰から脚にかけての被い。
典厩(てんきゅう)・・・左右の馬寮(めりょう)とその頭(かみ)の唐名。

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