« 1191年 (建久2年)5月3日 「吾妻鏡」「定綱の濫行の件、頼朝の奏状」 | トップページ | 10月1日 「吾妻鏡」「奥州・越後の駿牛を召し進す」 »

2007年4月12日 (木)

8月7日 「吾妻鏡」「頼朝、任憲のため解状(訴状)を奏進す」

8月7日 「吾妻鏡」癸未
「頼朝、任憲のため解状(訴状)を奏進す」
 頼朝の御外甥の僧任憲、熱田社領内の御料田を相伝するの処、勝實と号する僧の為これを押妨されました。勝實すでに天子に申し上げを経るの間、任憲は訴状を整え、また天子に申し上げ達せんと欲した。仍って頼朝の御推薦状を望み申した。頼朝は頗る御猶予の気配が有りました。故祐範(任憲の父)の功績に報いる為、縦え他の計略を廻らすとも、この天子に申し上げの取り次ぎについては難題のようです。而るにこれ先人亡骨の在所である。相構えてこれを達せんと欲するに、他事曽て拠所無きの由重ねて言上するの間、今日ていねいな御文書を彼の訴状に相副え、高三位(泰経)に送付されたようです。
 僧任憲の訴状(具書等を添える)謹んでこれを進上します。此の如き事、取り次ぎ申すべからざるの由存じまして、大略は慎みを成して申し上げずにいます。而るに少事にはありますが、被告人勝實が押領申しますの間、当時一方の申状に依って命令下されたようです。勝實は道理を帯しますならば、何ぞ上西門院(統子内親王)の御時に裁許を受けなかったのでしょうか。更にこの條の詳細を申しひらき難きの由、任憲歎き申しますに依って、恐れながら言上する所であります。この旨を以て洩れ御申し上げなさり下さい。恐れかしこみつつしんで申しあげます。
     八月七日           頼朝

(注釈)
上西門院(統子内親王、鳥羽天皇の皇女、後白河天皇の姉)

(以下略)

|

« 1191年 (建久2年)5月3日 「吾妻鏡」「定綱の濫行の件、頼朝の奏状」 | トップページ | 10月1日 「吾妻鏡」「奥州・越後の駿牛を召し進す」 »