« 9月3日 「吾妻鏡」「泰衡、郎従河田次郎に誅せらる」 | トップページ | 1190年 (文治6年)1月6日 「吾妻鏡」「泰衡の臣大河兼任叛乱を起こす」 »

2007年3月31日 (土)

12月23日 「吾妻鏡」「義経・義仲・秀衡の子ら鎌倉に発向すとの風説」

12月23日 「吾妻鏡」戊申
「義経・義仲・秀衡の子ら鎌倉に発向すとの風説」
 奥州からの飛脚が去る夜参り、申して云く、與州(義経)並びに木曽左典厩(義仲)の子息及び秀衡入道の男等の者有り。各々同心合力せしめ、鎌倉に向け出発せんと擬すの由の評判の説が有るようです。仍って軍勢を北陸道に分け派遣すべきかの由、今日その指図が有りました。深雪の時期たりと雖も、皆用意を廻らすべきの旨、御文書を小諸の太郎光兼・佐々木の三郎盛綱以下越後・信濃等の国の御家人に遣わされるようです。(藤原)俊兼が、これを奉行しました。
(注釈)
旧暦1189年12月23日 は新暦1190年1月30日
御家人(ごけにん)・・・将軍と主従関係を結び、所領安堵などの保護を受けた武士

|

« 9月3日 「吾妻鏡」「泰衡、郎従河田次郎に誅せらる」 | トップページ | 1190年 (文治6年)1月6日 「吾妻鏡」「泰衡の臣大河兼任叛乱を起こす」 »