12月23日 「吾妻鏡」「義経・義仲・秀衡の子ら鎌倉に発向すとの風説」
12月23日 「吾妻鏡」戊申
「義経・義仲・秀衡の子ら鎌倉に発向すとの風説」
奥州からの飛脚が去る夜参り、申して云く、與州(義経)並びに木曽左典厩(義仲)の子息及び秀衡入道の男等の者有り。各々同心合力せしめ、鎌倉に向け出発せんと擬すの由の評判の説が有るようです。仍って軍勢を北陸道に分け派遣すべきかの由、今日その指図が有りました。深雪の時期たりと雖も、皆用意を廻らすべきの旨、御文書を小諸の太郎光兼・佐々木の三郎盛綱以下越後・信濃等の国の御家人に遣わされるようです。(藤原)俊兼が、これを奉行しました。
(注釈)
旧暦1189年12月23日 は新暦1190年1月30日
御家人(ごけにん)・・・将軍と主従関係を結び、所領安堵などの保護を受けた武士
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