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2007年3月30日 (金)

9月3日 「吾妻鏡」「泰衡、郎従河田次郎に誅せらる」

9月3日 「吾妻鏡」庚申
「泰衡、郎従河田次郎に誅せらる」
 藤原泰衡は数千の軍兵に圍まれ、一旦の生命への迫害を遁れる為、隠れることねずみの如く、退ぞくこと貎(げき)に似たり。夷狄(えぞ)嶋を差し、糠部郡(陸奥)に向かって行く。この間、数代の郎従河田の次郎を相恃み、肥内郡贄(にえ)の柵(出羽)に到るの処、河田たちまちに年来の旧好を変じ、郎従等をして泰衡を相囲ましめさらし首にした。この首を二品(頼朝)に献上する為、鞭を揚げ参向したようです。
   陸奥押領使藤原朝臣泰衡(年三十五)
   鎮守府将軍兼陸奥の守秀衡が次男、母前の民部少輔藤原基成の娘、
   文治三年十月、父の遺跡を継ぎ、出羽・陸奥の押領使として六郡を管領(支配)す。
(注釈)
貎(げき)・・・想像上の水鳥?
郎従(らうじゆう)・・・家来、従者、
鞭(むち)・・・細長い杖
押領使(あふりゃうし)・・・暴徒・盗賊などの鎮定・逮捕を管掌した職
鎮守府(ちんじゅふ)・・・陸奥・出羽の蝦夷を鎮圧するための役所
鎮守府将軍・・・鎮守府の長官
出羽・・・山形・秋田両県

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