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2007年3月21日 (水)

12月6日 「吾妻鏡」「東大寺僧と武家の使闘乱す」

11月27日 「吾妻鏡」戊午
「群盗大庭景宗の墓を盗掘す」
 (大庭平太)景能の父景宗の墳墓は相模の国豊田庄に在りました。而るに群盗が競い来たり、彼の塚を掘り開き、納める所の重宝等を盗み取り去りました。これを追走すと雖も、その行方を知らずとなりました。この事の始めを思うに、去る比狐が倒れるの由見い出す時であるようです。人以て不思議とするようです。

12月6日 「吾妻鏡」丁卯
「東大寺僧と武家の使闘乱す」
 式部大夫親能の飛脚が京都より参着した。去る月二十五日、東大寺境内に於いて寺僧と武家の使と闘乱し、相互に傷死した。疵を被る者数十人である。今日二十九日、在京の士卒を以て南都に出発させようと欲するの処、朝廷の大事として、禁制を加えるべきの旨、右武衛(能保)並びに親能に命令されるの間暫く留めた。則ち命令に応じ、武士の出発を留めたの由、師殿(経房)に申し上げたようです。これ高太入道を殺害する事に依って、尋問し指図すべきの由、二品(頼朝)命令しなさるの間、親能の使者を奈良に派遣し尋ねんと欲するの処、その処置を相待たず、忽ちこの狼藉が出来したようです。
(注釈)
高太入道・・・肥後の守平貞能法師の郎従

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