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2007年3月 1日 (木)

2月9日 「吾妻鏡」「草野定康に近江領所を安堵せしむ」

2月9日 「吾妻鏡」辛巳
「草野定康に近江領所を安堵せしむ」
 (草野)大夫屬定康と云う者がいます。関東の功労ある武士である。彼の近江の国の領地、平家在世の時は、源家の味方と称し、没収され滅亡した。今また守護(佐々木)定綱が兵粮米の為これを調べて没収した。これに依って参上を企てた。功労の有るを強く申すの間、かたがた狼藉を停止し、元の如く領有支配すべきの趣、今日命令下されたようです。
「定康平治の乱の功」
 去る平治元年十二月合戦の敗北の後、左典厩(義朝)が東国美濃の国に御行きなされた。時に寒嵐が膚を破り、白雪が路を埋め、進退の歩行困難でした。而るにこの定康、忽然としてその所に参向せしむの間、平氏の追捕を遁れる為、先ず氏寺(大吉堂と号す)の天井の内にお隠しいたしました。院主の阿願房以下の住僧等を以て警固するの後、私宅にお招き申しました。翌年の春に至るまで忠節をつくしたようです。

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